闇にとぶ蝶 2
三橋廉は、ここ私立三星学園では特異な存在だ。
ありていに言えば今時のイジメの対象というだけだが、祖父がこの中高一貫全寮制の三星学園の理事ゆえの私立という環境下の教師達の特別扱い、駆け落ち同然の両親から半ば奪うように連れてこられた家庭の複雑な事情、本人の内向的かつ自虐的な性格のせいで友達が出来ず、そればかりか中等部もそろそろ終わりかけの今でさえ周りに馴染めない事、それら全てが悪いほうに連鎖してしまい、いつまでたっても自分の居場所すら見つけられずにいる。
同室の叶修吾とは幼馴染で、少々複雑な環境化で育ったレンにとっては家族以上に近く甘えられる相手であり、すべてをさらけ出しても安心していられる唯一無二の存在だ。
ここ最近では同室であるのをいい事に覚えこまされた肉体の愉悦に流されている。
半ば習慣のように身体を重ねはするが、叶が思っているほどレンのこころは叶にあるわけではなかった。
自分にとっての唯一の逃げ場であり、狭く閉ざされた世界でのただ一人の友達だ。
萎縮したこころに恋や愛などは遠い道のりの果ての幻のようなもので、愛されてるなどの自覚もない。
身体を重ねるのは叶修吾を繋ぎ止めたいという寂しさからくる妥協で、叶の喜ぶ事ならばどんなことでも黙って飲み込んだだろう。
たとえそれが自分を傷つける結果に終わろうとも。
週末はその叶がレンにこころを残しながらも、名家である実家に帰省するしかなく、一人っ子の長男である事を疎ましく思いつつも出来うる限り時間を短縮して寮に戻ってくる。
レンにとっては孤独と向き合い叶のコトばかりを考える狂おしい程人恋しい時間だ。
月曜の朝には戻っている事が多い叶だが、確かに昨晩触れたはずなのに朝起きた時には叶のベットは綺麗に整えられ使った気配すらない。
「・・・・・・修、ちゃん・・・・・?」
呼びかけてはみたものの空のベットや奥のシャワーブースからも人の気配は感じられない。
人の気配のない部屋は色褪せて寒々しい。
修ちゃんの強く明るい笑顔を早く見たい
修ちゃんが笑いかけてくれるのなら何でも出来る
快楽の後の気だるい体を部屋に備え付けのシャワーブースまで運んで、のろのろとコックを捻った。
少し熱めの温が勢いよく飛び出して、昨晩のおぼろげな記憶を排水溝へと流しさる。
いつもよりも熱のこもった抱擁だったのは自分の願望かも、という思いが一瞬よぎり、ひとり赤面した。
バシャバシャと弾ける湯に頭を突っ込んですべてを押し流す。
叶の温もりが恋しい
いつでも笑いかけて欲しい
「修ちゃん、・・・・・」
部屋のいつも散らかし屋の叶らしくもない整ったベットが、やはり夢だったのだろうと思わせる。
叶の愛撫はもう少し不器用だったけれど、でも必ず、レン、と何度も名前を呼んでくれる。
叶は気持ちいいから自分に触れてくるのだし、叶の言うとおりにしていれば叶はレンを見てくれる。
だから、・・・・・・・・だから、それは寂しくなんかない。
他のコトや他の人間はどうでもいい。
「早くかえってきて・・・・・・」
叶のいない時を紛らわす為に、そして動かない時計の針を見ないようにする為に、のろのろと制服に着替えると食堂へと出て行った。
休み明けのざわつく廊下に、教室に、予鈴が鳴り響く。
三橋廉はそれにそっと息を吐いた。
居場所のない教室はレンにとっては落ち着かない゛他所゛でしかない。
2限を過ぎた今も斜め前の叶の席は空いたままで、月曜の授業までにはいつも戻っている叶が遅刻などは、ごく珍しい。
旧家の跡継ぎである叶は、どこに出しても恥ずかしくないようにと厳しく、折り目正しく躾られている。
何かあったのだろうかと少し心配になった。
本人の性質も責任感が強く面倒見が良い鷹揚なところが旧家の跡取りに相応しい、と口うるさい分家も認めるところだ。
そして同じ三星に在籍しているレンの数少ない理解者である同い年の従姉妹の瑠璃の、親同士が勝手に決めた婚約者でもある。
そのことに僅かな罪悪感を感じない訳ではないが、今叶なくしてはレンはこころのより所を失っしてしまう。だから2人がそう遠くない将来にもしも結婚したら、自分はいてはならない、という事も解ってはいる。
「すみません、遅刻!」
レンの物思いを破るように勢いよく教室の戸が開けられて、叶が息せき切らして、という状態で走りこんできた。
「おっせーぞ、かのう〜!」
「社長出勤かよー!!」
「っれ?先生まだ来てねーのかよ〜」
人気者の叶に次々と声がかけられて、脱力した様子でガタガタと椅子を鳴らして本人が着席する。
レンの横を通り抜けざまに軽く後頭を小突いて目で笑いかけていく。
叶が来た事によって静まりかけていた教室が一気に騒がしくなり、数人が席を立って叶を取り囲んだ。
「なんでオマエ遅れてんだよ〜」
「お坊ちゃまは家の用事で忙しいんだろ?」
「バッカ、オレは事故渋滞で車ん中3時間も死んでたンだよ!」
「嘘吐け、寝坊だろ!」
「そりゃオマエだって。」
仲間同士ふざけあうのを羨ましそうな視線でレンが眺めている。
その視線の先、叶は仲間たちに応えながらも、気持ちは懸命にレンの気配を追っているのをレンは知らない。
「おい、本鈴なってるぞー!席に付け!叶は…間に合ったか。後で担任に届け出しとけよ」
「はい!」
さすがに学校側には電話で連絡を入れたらしいのに、教室に入って来た英語の教師が確認を入れる。
叶が戻ってきたことによりレンにもいくらか居心地のよくなった教室が、色を取り戻したように感じられた。
次の移動教室の為に教科書をそろえていると、取巻く友達を振り切って叶がレンに近寄ってきた。
「ミハシ、一緒に行こうぜ」
叶は教室ではレンのことを、ミハシ、と苗字で呼ぶ。
それは皆に嫌われているから仕方のない事だと思う。
ただでさえ叶のいないところでは「オマエのせいで叶もメイワクしてる」と再三、叶のとりまき連中からイジメられているのだ。
恐らくそれは本当だろうし、叶がそれを自分にわざわざ言わないのは叶の優しさで、゛レン゛とみんなの前で呼ばないのは、叶だって気にしていない訳ではないからだろう。
普通だったら嫌われ者と仲良くしたら、その本人だって嫌われ者になってしまうのが当たり前だ。
叶が皆に嫌われずにいるのは本人の明るい性格と、気風のよさを周りが認めているからだ。
たがらこれ以上を望むのは贅沢なのだろう。
レンも周りに人が居るときは決して叶を゛修ちゃん゛とは呼ばない。
それが2人の暗黙の了解だ。
廊下を歩きながら人気のない場所で叶が切り出した。
「なぁ、オレが入れたメールちゃんと見たか?」
心配そうな顔に怒っていない事を安堵しつつも身体が一瞬硬直する。
「み、見てない・・・・」
「なんだよー、オレ一生懸命打って返事待ってたんだぞ・・・・」
「・・・ご、ごめん、ね」
面倒くさがり屋の叶はめったにメールを打ったりしないのを周りは皆知っている。
今朝はおかしな夢を見たせいで、携帯にまで頭が回らなかった。もっとも校内では携帯は禁じられているのを叶だって知らない訳ではない。
「おまえは全然気にしてないんだな・・・・・・」
小さくつぶやいた叶の声に落胆が滲む。
「ご、ごめん!修ちゃんっ…」
なぜ落胆しているのかなどは解らないが、叶の意に沿わなかった事に青ざめる。そのレンの様子にさらに叶がやるせない気持ちになっている等は想像の範疇外だ。
「いいよ・・・別に。なぁ、レン・・・・・・・・キスしたい。」
「えっ、…こ、…ここで?」
たとえ周りに人が居なくとも、誰に見られるかもしれない校内で?と腰が引ける。
自分の想いがどうすれば相手に伝わるのか叶には分らない。
言葉を尽くすほどの饒舌さも持ち合わせておらず、不器用な自分にイラつきはするが、他の手段もわらかない。
短気な性格が災いして、こんな時はいつもレンを乱暴に扱ってしまう。
だから伝わらないのか、もともと伝わっていないのか・・・・・・・
無理矢理手を引くと階段下の丁度いい暗がりにレンを引きづり込む。バサバサと教科書やノートが手から滑り落ちたが気にしない。
少し怯えた様子のレンが狂おしいほど愛しくてならない。
週末の丸々2日間もレンに触れずに過した後は、渇ききった喉を癒す水を欲するかのように餓えた獣さながらになる。
文字通り貪るように唇を味わい、蹂躙しつくす。
息苦しさに押し戻そうとするレンの手をきつく握った。