悩める野球少年の恋愛力学 利央1
「準サンっっ」
「うるさい」
「オレ、おれはっっ」
「うるさい!」
めったに怒鳴ったりしない人が力一杯怒鳴ってる。
腕を取ろうとして振り払われる。相当アタマにきてるみたいでこっちなんか見もしない。
おれは自分が考えなしだったことを思い知った。
ガチャガチャと怒りのためにベルトが上手くはまらないのかイライラと脱げかけていたシャツを着なおす。ビリッと布が破けた音がしたが、無理矢理シャツ着るからだ。謝りたいのに全部をシャットダウンの勢いでシャツのボタンがずれて止まってるのにも気づかない。
さっきまで酔いが回ってふにゃふにゃだったのが嘘みたいにしゃっきりしている。
多分ショックで全部が吹っ飛んだんだと思う・・・・・・・・・・・・多分。
「準さっ!ぶっ」
謝ろうとしたオレの顔に準さんの鞄がヒットする。
金具の部分が鼻に当たってすげぇ痛かったが、ここで逃したら気まずいまま予選突入だ。それだけはマズいのは解っているから何とか腕に取りすがろうとしたら、こんどは振り回した腕が偶然鳩尾に入って吹っ飛んだ。勢いあまって、後のベンチに背中から激突する。
ものすごい派手な音がしてべンチもろともぐちゃぐちゃの粗大ゴミみたいになった。
まさに今のオレの気分。
痛いのと、偶然とはいえキレイに決まった肘に息も出来ない。
止める間もなく準さんが勢いよく扉をたたきつけるみたいに閉めて出て行った。
伸ばした腕がムナシイ。
「・・・・・・イッテェ」
涙が出てきた。
どうしても好きで、どうしても触りたくて、どうにもならないと判っていたはずなのに、つい飲んだ酒に完全に理性が吹っ飛んでしまって取り返しのつかない事をしてしまった。酔ったつもりはないけれど、あれはやっぱり酔っていたのか?
甲子園の予選も近いというのに、オレは一体何をしているんだろう。
こんな事(酒を飲んだ事も含め)を監督に知られれば退部(クビ)は間違いない。
だってキスした時は大人しかったから、オレはそれをOKのサインだと思ったんだ・・・・・・・少なくともブラジルじゃそうだった。いやヨーロッパだってそうだ。
父ちゃんがよく言っていた『郷に入っては郷に従え』という言葉が思い出された。
だって日本でそんな事になったのは今回が初めてだったから日本じゃアレでNOサインなのか、とか、良く解らない。
少なくとも準さんにとっちゃ、NOだったらしい。というか意識朦朧ではあった・・・・・・・・・多分。
しばらく呆けたみたいにぼけっとしていた。
それからやっぱり何とか謝ろうと思って携帯にかけてみた。一回コールしたのに一拍遅れてすぐ側からくぐもったコールの音が聞こえてきた。
「忘れてるよ・・・・」
真っ暗な中手探りで探すと、さっき準さんに投げつけられた鞄がベンチの向こうから出てきた。
諦めてコールを切る。
忘れた鞄を届けるっていう口実を思いつかない訳じゃなかったけど、そこまで気力が追いつかなくて、なんか準さんの鞄を抱きしめて泣いてしまった。
本当に大好きなんだと自分に呆れた。
準さんの鞄はロッカーの前にそっと置く。それからベンチを直して、自分の鞄の中から預かった部室の鍵を出して戸締りしてとぼとぼと帰路に着いた。
明日も多分準さんが一番に来るはずだから、おれはソレよりも早く部室に行かなくちゃならない。
通常鍵は部長の和さんと、次の日の早番、監督の三人が持っている。本当なら明日の早番は慎吾さんだけど、酔いつぶれた準さんの酔いを醒まして送ってくよう言いつけられて鍵はいつも早い準さんに渡しとけって言われたんだ。慎吾さんもいい気分だったから、上手い事早番を押し付けられたって言ったほうが早い。
ああ〜和さんも監督も居ないのをいい事に慎吾さんが前祝いとか言いださなけりゃ、こんな事には!
こんな事が高野連に知れたら出場停止だ。
とにかく今日は人生でサイアクの日だった。
昨日の夜は帰ってから日ごろのどうかしてるんじゃないかと言うほどの食欲も無く、まっすぐ部屋に直行した。
下から母ちゃんが、利央ーご飯たべないのーと呼んだけど、結局寝たふりでそのままもんもんと朝になった。
朝シャワー浴びるまで気がつかなかったけれど、準さんに蹴られた左目に紫色の痣が出来ていて、まるでケンカして殴られたみたいだ。
もちろん母ちゃんにどうしたのか聞かれたが、練習中にスライディングしてきたヤツと偶然接触した事故だと言っといた。納得したとはいえない心配顔だったけど、両頬にキスして出てくる頃には信じたみたいだった。
朝一で部室に着いて、準さんを待ってたけれど和さんが一番乗りで来て、やっぱりオレの顔の痣をどうしたんだと聞いてきた。
「昨日アニキとケンカしたんスよ・・・・・」
「・・・・・呂佳さんのガタイ考えたら勝ち目ないだろ・・・・・・」
「だからこうなってんじゃないスか」
そんな本気で呆れた顔しなくてもいいじゃないスか!
嘘をつくのは気がとがめたけど本当の事を言える訳ない。そんな事したら今度こそ準さんはオレを抹殺すると思う。
グランドに部員もスタメンは全員そろって控えのヤツラもほぼ揃った頃に準さんはやっと来た。
その頃にはオレはみんなのいい笑いものになってる。そりゃこんな派手な痣、なかなか普通は出来ないだろう。
「おー、珍しいなオマエが遅いなんて!」
無邪気に和さんが声を掛けてるのに、ほんの少し強張った笑顔で挨拶を返した準さん盗み見てぎょっとした。
あーあの人はもう!!!
首のそんなトコに絆創膏なんか貼っちっゃたら、ここキスマークついてます!と言ってるも同然だ!!!
うわぁ、慎吾さんが近づいてくよーっっ!あの人がそんなもの見逃す訳ないだろーっっっ
とにかく何とかしなきゃと、慎吾さんの進路に立ちふさがるカンジで無理矢理割って入る。
「あー、はようザイマス!」
目も見ずにおぅ、と短く返された。それに少し胸の奥がチリチリした。
いつもだったらもっと何かオレを構うんだ。そんでオレも準さんのツっ込み受けて二人でふざけて、和さんにいい加減に練習するぞ、とか何とか。
そんなオレの気持ちなんて知らない慎吾さんが無遠慮にオレを押しのけて準さんの首をガッチリ抱え込んで、小声でひそひそ言うのに聞き耳を立てる。
「オマエ二日酔いかよ!しっかりしねぇとバレんだろ!」
ギリギリと首を締めるのに必死に抵抗する準さんは一見いつも通りみたいだ。
「すんませ、痛いっスよ!!慎吾さっ」
二人で目の前でジャレられてますます落ち込む。そこはオレのポジションじゃないスか・・・・
「で、何だ?このこれ見よがしな絆創膏は?生意気にオンナか?!」
「わっ、違いますよっっ、これは弟とケンカしたんスよ!!」
「何だよ二人そろって兄弟喧嘩??アヤシイな〜」
その言葉に準さんの顔が一瞬ギクっとしたのが解ったが、後から首を締め上げてる慎吾さんには見えない。
オレは、よくあることっス、と強張る顔を何とか誤魔化し笑いで何でも無いふりを装ったが、慎吾さんは無情にもべりり、と準さんの首の絆創膏を剥がした。
それを見てオレは本当に一瞬心臓が止まった。
キスマークがあったからじゃない。
昨日つけたはずのキスマークの上にはっきりと引っ掻き傷みたいのがあったからだ。
おれはアンナノは準さんにつけた覚えは無い。
じゃあアレはナンダ?
「だから、ケンカしたって言ってるのに。」
「なんだよ、つまんねーなー」
「汗が染みるんっスよ」
ぶつぶつ言いながら準さんは慎吾さんから絆創膏を奪ってもう一回貼り付ける。
「キスマークくらいつけて来いよ〜」
「何言ってんスか。そんなん有ったら出場停止でオレは皆にぼこぼこっスよ」
「そりゃーそーだな。そんでオマエだけオンナ出来るなんて認めねぇ!」
「何処にそんなヒマがあるんスか」
傷心のオレの目の前で慎吾さんと準さんはじゃれるのを止めない。
和さんの集合、の声に一斉にマウンド付近に皆駆けて行く。
オレは衝撃に一歩も動けなかった。
アレは、あの傷は
準さんが自分で付けたに違いなかった。
(次ページ)
26th Aug 2007